はじめに
株式市場で「暴落」と呼ばれる局面は、歴史を振り返ると何度も繰り返されてきました。多くの投資家が痛手を被る一方で、市場はそのたびに再生や転換を遂げてきたのも事実です。
しかし、暴落を単に「何日連続で株価が下落したか」といった短期的な指標だけで捉えようとすると、往々にして実態を見誤ってしまいます。バブル崩壊のように長期にわたってじりじり下落することもあれば、ブラックマンデーのように1日で20%を超える大暴落もあります。
本記事では、歴史的な8つの暴落を取り上げ、それぞれの基本的な概要に加え、以下の7つの観点を軸にして整理します。
- ピークからボトム(安値)までの下落率
- 下落スピード(期間)
- 1日の下落率やボラティリティ(VIX等)
- 取引高や出来高の推移
- 信用スプレッドや金利動向
- 株式市場以外(為替・商品市場など)への波及状況
- 実体経済への影響(企業業績・失業率など)
「なぜ暴落が起きたのか」「そのとき市場では何が起きていたのか」を理解することで、未来の投資やリスク管理のヒントを得ることができるかもしれません。ぜひ最後までご覧ください。
1929年:世界恐慌(ウォール街大暴落)
暴落の概要
1920年代後半のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれ、株式投資が熱狂的に流行していました。過剰な信用取引が横行し、投資家は借金をして株を買い漁っていたのです。そんな中で1929年10月24日の「暗黒の木曜日」から株価が急落し、10月28日(月)、29日(火)と連日のパニック売りが市場を襲いました。この暴落はのちに世界規模に波及し、「世界恐慌」へと発展します。
7つの観点で見る1929年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- ダウ工業平均は1929年9月3日の史上最高値(381.17)から、1932年7月の底値(41.22)まで約**-89%**の下落。
- 約3年かけてじわじわ下げ続けましたが、最初の衝撃は1929年10月のほんの数日間で起きています。
- 下落スピード
- 最初の急落はわずか数営業日で株価が30%以上下がりました。
- しかし本格的な底打ちは3年を要し、非常に深刻な長期下落となりました。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 10月28日(月)は**-13%、29日(火)は-12%**と異例の急落。
- 投資家心理はパニックに陥り、多くの人が破産に追い込まれました。
- 取引高や出来高
- 当時としては記録的な水準に膨れ上がり、ブローカーの電話回線がパンクするほど。
- 市場インフラが追いつかないレベルの「パニック売り」でした。
- 信用スプレッドや金利動向
- FRBは景気過熱を抑えるために金利を引き上げており、信用取引が圧迫されていました。
- 銀行の取り付け騒ぎが起こり、金融機関の信用崩壊に拍車がかかります。
- 他市場への波及
- ヨーロッパをはじめとする世界の株式市場や金融市場にも波及し、国際貿易が急縮小。
- 世界的な経済連鎖破綻が進み、株安・経済不振が長引きました。
- 実体経済への影響
- アメリカ失業率は25%超まで急上昇し、企業倒産や銀行破綻が相次ぎ、世界恐慌の名にふさわしい経済的壊滅状態に。
- 社会構造が一変し、1930年代を通じて世界的な大不況に陥りました。
1973年:オイルショック(第一次石油危機)
暴落の概要
1973年10月に勃発した第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)を契機に、OPEC(石油輸出国機構)が原油価格を大幅引き上げ。原油依存の先進国は一挙にエネルギー危機へと突入し、石油輸入国である日本や欧米は深刻なインフレと景気後退が同時に進む“スタグフレーション”に見舞われました。株式市場は長期的な下落トレンドに入り、企業収益や経済活動が大きく落ち込んでいきます。
7つの観点で見る1973年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- S&P 500は1972年末の高値から1974年10月まで約**-48%**下落。
- 日本株(TOPIX)も1973年にピークをつけ、1974年にかけて**-50%**ほど下落。
- 下落スピード
- 一気に崩れたというより、1〜2年かけて「じりじりと大幅下落」した形。
- 短期の連続陰線よりも長期的な停滞が特徴的です。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 1987年のブラックマンデーほどの1日暴落はなかったものの、-5%前後の大きな下落が散発的に発生。
- インフレ不安や石油不足の報道が出るたびに乱高下が起きました。
- 取引高や出来高
- 株式の売りが先行し、投資家心理が冷え込み出来高が増加→その後は「買いが入らない」状況に移行。
- 不安定な相場が長引きました。
- 信用スプレッドや金利動向
- インフレ高進を抑えるために各国が金利を上げ、企業の投資意欲が減退。
- “高インフレ+低成長”という、当時としては未曾有の経済局面に突入。
- 他市場への波及
- 原油価格の上昇がすべての産業コストを押し上げ、企業収益や消費者物価に深刻な影響。
- 為替や債券市場も変動が激しくなり、世界全体が動揺しました。
- 実体経済への影響
- 世界的なインフレと不況。日本でも物価が急騰し、トイレットペーパー買い占めなどの社会現象が発生。
- 多くの企業が倒産や生産抑制に追い込まれ、経済成長率が大幅に低下。
1987年:ブラックマンデー
暴落の概要
1987年10月19日(月)、ニューヨーク株式市場のダウ平均株価が一日で**-22.6%**という史上最大級の下落率を記録した出来事です。金融自由化やプログラム売買(ポートフォリオ保険)など新たな仕組みが下落を加速させたといわれています。驚異的なスピードでの暴落だったものの、意外にも実体経済への影響は限定的で、その後相場は比較的早期に持ち直しました。
7つの観点で見る1987年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- ダウ平均は1987年8月末の高値(2,722)から、10月末には1,700台半ばまで約**-36%**。
- 約2か月の短期間に集中。
- 下落スピード
- 10月19日の1日で**-22.6%**というインパクトは伝説的。
- わずか数週間で市場の雰囲気が激変しました。
- 1日の下落率やボラティリティ
- ブラックマンデー当日にほぼ**-23%**という歴史的記録。
- 翌20日(火)も大幅下落の可能性が懸念されましたが、結果的にはプラスで引け、パニックは徐々に沈静化。
- 取引高や出来高
- 記録的な注文が殺到し、取引所のシステムや電話回線が混乱。
- プログラム売買の自動売り注文が瞬時に大量発生したことで、下落が一気に加速。
- 信用スプレッドや金利動向
- 1987年前半から米国債券市場で金利上昇が続き、株式バブル懸念とのあいだで不安が拡大。
- 銀行や証券会社の大規模破綻までは至らなかったため、信用不安は限定的でした。
- 他市場への波及
- 欧州や日本も「世界同時株安」に。日経平均も2日連続で10%近い下げが発生。
- ただし為替やコモディティ市場への波及は相対的に軽微。
- 実体経済への影響
- 実際の経済不況には至らず、FRBの流動性供給・利下げなどの政策対応で比較的早期に回復。
- 後年、「大暴落だった割に景気は冷え込まなかった」と語られます。
1990年:日本のバブル経済崩壊
暴落の概要
1980年代後半、日本は株価・不動産価格が天井知らずに上昇した“バブル経済”を謳歌していました。しかし、1989年末の日経平均の史上最高値(38,915円)をつけた後、政府・日銀の金融引き締めや総量規制などをきっかけにバブルが崩壊。1990年代以降、「失われた10年(あるいは20年)」と呼ばれる長期低迷期が始まります。
7つの観点で見る1990年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- 1989年末から1992年8月までに日経平均は約**-63%**。
- その後も下げは断続的に続き、2000年代前半には7,600円台まで落ち込みました。
- 下落スピード
- 最初の急落は1990年1~3月に集中。
- とはいえ“V字回復”はなく、そのまま数年かけて“じわじわ”下落。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 暴落初期には1日で**-4〜-5%**程度下がる日が複数回。
- バブル期に極端に高まっていたPER銘柄が一斉に売られたことも特徴です。
- 取引高や出来高
- バブル崩壊期には最初はパニック売りで取引高が急増。しかし、やがて買い手がいなくなり低迷。
- 株価が戻らない“長期下落トレンド”に突入。
- 信用スプレッドや金利動向
- 日銀が公定歩合を1989年から段階的に引き上げ。不動産・株式への融資が締め付けられ、信用収縮が起こる。
- 銀行の不良債権問題が顕在化し、金融機関の貸し渋りが経済全体に波及。
- 他市場への波及
- バブル崩壊は主として日本国内の資産市場への打撃が大きかった。
- 日本企業の海外投資縮小などで、アジアや欧米にも影響はあったが、リーマンショックほどの世界的連鎖には至らず。
- 実体経済への影響
- 1990年代以降、「失われた10年」と言われる長期デフレ・経済停滞に陥る。
- 企業倒産、個人資産の目減り、雇用悪化など深刻な影響が広く及んだ。
1997年:アジア通貨危機
暴落の概要
1990年代半ば、タイや韓国、インドネシアなどアジア新興国に海外資金が大量に流入し、急速な経済成長を遂げていました。しかし、実態が伴わない過剰投資や通貨ペッグ制(固定相場)の歪みが蓄積しており、1997年7月にタイの通貨バーツが暴落したことで一気に火が付く。アジア各国の通貨・株式が連鎖的に下落し、国際通貨基金(IMF)の緊急支援を受ける国も相次ぎました。
7つの観点で見る1997年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- タイ株式市場(SET指数)は1996年高値から1998年に約**-60%**。
- 香港ハンセン指数は1997年8月の16,800付近から1998年8月に8,000台まで**-50%超**。
- 下落スピード
- 1997年半ばから1998年まで約1年弱かけて下落が断続的に発生。
- 1国ずつリスクが波及する「ドミノ倒し」のような形でした。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 香港市場では1日**-10%**近く下げる日が何度か出現。
- 通貨も激しく乱高下し、投資家のリスク回避が一気に広まりました。
- 取引高や出来高
- 投資資金の大規模な流出でパニック売りが発生し、急騰・急落の波が繰り返し。
- 一方で流動性が不足し、一部市場では取引が実質的に極端に薄くなる事態も。
- 信用スプレッドや金利動向
- IMF支援とともに各国は通貨防衛のため金利を引き上げ。新興国社債の信用スプレッドが急拡大。
- 韓国やタイなどの銀行の破綻が相次ぎ、信用不安が深刻化。
- 他市場への波及
- 東南アジアから韓国、さらに日本へ、のちにロシアやブラジルといった新興国にも波及。
- 1998年にはロシアが債務不履行(デフォルト)を起こし、LTCMという大型ヘッジファンドが破綻するなど、世界的な金融危機に発展しかけました。
- 実体経済への影響
- アジア各国で企業倒産と失業率増大。急激な通貨安で輸入コストが上昇し、深刻な景気悪化。
- 日本も銀行の不良債権が拡大し、一部の大手金融機関が破綻する局面に直面。
2000年:ドットコム・バブル崩壊
暴落の概要
1990年代後半、インターネット関連企業が一気に台頭し、IT革命の熱狂とともに株価は天井知らずに上昇。PER(株価収益率)などの指標がまったく無視され、「.com」と名のつく企業なら何でも買われる状況が続きました。しかし2000年3月、NASDAQ総合指数が5,000超えのピークを打ってからIT株が急落、ドットコム・バブルが破裂します。
7つの観点で見る2000年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- NASDAQ総合は2000年3月(約5,048)から2002年10月(約1,114)まで**-78%**。
- 2年半以上にわたり、じりじり値を下げ続けました。
- 下落スピード
- 最初の1年(2000年3月〜2001年春)で大きく崩れ、その後も底無しのように下落が継続。
- 短期的な乱高下を繰り返しながら、結果的に長期下落が続きました。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 1日で**-5〜-7%**ほど下げる日が珍しくない状態に。
- ITバブルに乗って上場した多数のベンチャー企業が大暴落し、倒産が相次ぎました。
- 取引高や出来高
- バブル期にはIT関連銘柄の取引高が膨張。崩壊後も売り注文が止まらず、出来高が高水準の日が多かった。
- 次第に買い手がいなくなり、価格が沈み続ける構図。
- 信用スプレッドや金利動向
- FRBはインフレ警戒から1999年以降金利を引き上げ、過熱したIT投資にブレーキ。
- 企業収益の裏付けがない銘柄の信用が急速に収縮し、株価が急落。
- 他市場への波及
- IT関連の比重が高いNASDAQを中心に暴落。S&P 500や日本のハイテク株も打撃を受けました。
- 為替や原油市場への影響は限定的で、株式セクターのバブル崩壊という側面が強い。
- 実体経済への影響
- 米国は2001年に景気後退入りしたものの、リーマンショックほどの深刻化には至らず。
- いわゆる“ITベンチャー”の大量倒産が起き、IT業界の淘汰と再編が進むきっかけとなりました。
2008年:リーマン・ショック(世界金融危機)
暴落の概要
米国の住宅バブル崩壊を背景に、サブプライムローン問題が2007年頃から顕在化。金融機関が証券化商品(MBSやCDOなど)を大量保有していたため、リスクが世界的に拡散していました。2008年9月15日に米投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻すると、金融システムの信用不安が一気に加速。株式市場は“百年に一度の危機”とも言われる大混乱に陥りました。
7つの観点で見る2008年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- S&P 500は2007年10月高値(約1,565)から2009年3月安値(約676)まで**-57%**。
- 約1年半の長期にわたり下落トレンドが継続。
- 下落スピード
- リーマン破綻直後の2008年9月〜10月は特に急落が激しく、連日**-5%**前後の下げが珍しくない状態に。
- しかし最終的な底は2009年3月と、半年程度は混乱が続きました。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 2008年9月29日はS&P 500が**-8.8%、10月15日は-9%超、VIXは80台**へ。
- 複数回サーキットブレーカーが発動するほどの乱高下が世界各国で起きています。
- 取引高や出来高
- 史上最高レベルの出来高が連日続き、大手金融機関やファンドが大量にポジションを手仕舞い。
- パニック売りが膨れ上がり、価格形成が混乱する日も多かった。
- 信用スプレッドや金利動向
- 銀行間取引金利(LIBOR)が急騰し、信用スプレッド(TEDスプレッドなど)も異常拡大。信用市場が凍結する危機に。
- 世界各国の中央銀行が緊急利下げと資金供給を行い、金融システム崩壊を防ぐのに必死でした。
- 他市場への波及
- 世界の株式市場は同時暴落し、新興国通貨やコモディティ価格も激しく下落。
- まさに“グローバル金融危機”の様相で、経済活動全般が大きな打撃を受けました。
- 実体経済への影響
- 米国失業率は10%近くまで上昇、欧州でも銀行救済や緊縮財政が進むなど深刻な不況。
- 金融業界再編が加速し、金融規制強化(バーゼル規制・Dodd-Frank法など)の流れを決定づけました。
2020年:新型コロナウイルス・ショック
暴落の概要
2019年末に中国で報告された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は瞬く間に世界へ拡大。各国がロックダウンや移動制限を施行し、経済活動を止めざるを得ない状況に追い込まれました。その影響を織り込む形で株式市場は急落し、わずか数週間〜1か月ほどで主要指数が30%前後下落。歴史的にも類を見ない“超高速暴落”でしたが、その後の大規模金融・財政政策で比較的早いV字回復を見せたのも特徴です。
7つの観点で見る2020年
- ピークからボトムまでの下落率・期間
- S&P 500は2020年2月19日(3,386)から3月23日(2,237)まで約**-34%**下落。
- わずか1か月足らずの最速級の大暴落。
- 下落スピード
- 過去の暴落と比較しても「最速クラス」。
- 感染拡大→経済停止懸念→企業収益への不安を一気に織り込む形で急落。
- 1日の下落率やボラティリティ
- 1日に**-9%~-10%**規模の下落が複数回発生。
- VIX(恐怖指数)は最高82.69を記録し、リーマンショック時を超える水準に。
- 取引高や出来高
- 売り注文が殺到し、NYSEやNASDAQでは取引停止措置(サーキットブレーカー)が複数回発動。
- ETFや先物市場も大荒れで、流動性が枯渇する寸前の銘柄も散見されました。
- 信用スプレッドや金利動向
- ハイイールド債のスプレッドが急拡大。ドル不足から新興国通貨が急落。
- FRBは緊急利下げと量的緩和(QE拡大)、各国政府も史上最大級の財政出動を実施。
- 他市場への波及
- 原油需要が大きく減少し、WTI原油先物が史上初のマイナス価格をつける事態(4月)。
- 金や国債といった“安全資産”も一時売られるなど、マーケット全体が流動性確保に動きました。
- 実体経済への影響
- 世界中でGDPが急激に落ち込み、多くの企業が営業停止や倒産の危機に。失業率も急上昇。
- ただし超金融緩和と財政政策の後押しにより、株式市場は短期的にV字回復。しかしその後のインフレやサプライチェーン混乱など新たな問題も露呈しています。
暴落を測る7つの指標
これまで8つの歴史的暴落を見てきましたが、「連続陰線日数」だけでは大暴落の全体像をとらえきれないことが分かるでしょう。そこで、暴落時の深刻度や特徴を把握する際に重要な7つの指標を改めて整理します。
- ピークからの下落率(最大ドローダウン)
- 「最高値から何%落ちたか」は、暴落の規模を客観的に示す代表的指標。
- 下落スピード(期間)
- 暴落が数日で一気に起きるのか、数年かけてジリジリ起きるのかによって、投資家心理や経済への波及度も変わる。
- 1日の下落率やボラティリティ(VIXなど)
- 投資家のパニック度合いを測るうえで有力な指標。VIXが急騰しているときは短期リスクが非常に高い。
- 取引高や出来高
- パニック売りが集中すると一時的に出来高は膨張する。その後、買い手不在で出来高が枯れると長期低迷に陥るケースも。
- 信用スプレッドや金利動向
- 株式だけでなく、信用市場や金利市場がどう動いているかをみると、金融システムがどのくらい危機的状態にあるかがわかる。
- 他市場への波及状況(為替・商品など)
- オイルショックやアジア通貨危機のように、為替や原油価格が引き金となるケースもある。連動具合で危機の広がりを判断する。
- 実体経済への影響
- 最終的に企業業績や失業率、GDP成長率などにどれほど影響するのかが、暴落の深刻さを測る重要なポイント。
おわりに
歴史的暴落は、往々にして金融市場だけの問題にとどまらず、社会や経済の構造までも変えてしまう力を持っています。
1929年の世界恐慌は社会制度の大改革をもたらし、1973年のオイルショックはエネルギー政策の転換を促し、1987年のブラックマンデーはプログラム売買のリスクを再認識させ、2008年のリーマンショックは金融規制強化へとつながりました。2020年のコロナショックでは、各国の政策のスピードや世界のつながり方を改めて浮き彫りにしました。
今後も新たな危機や暴落は必ずやってくるでしょう。しかし、その都度、歴史や過去の知恵から学ぶことで、どのようなシナリオやリスクが想定されるのかをあらかじめ考えておくことは大いに意味があります。連続陰線日数のような「短期のテクニカル指標」だけではなく、複合的な観点で暴落のインパクトを評価することが、大局を見誤らないコツといえます。
参考文献・データ
- FRED(Federal Reserve Economic Data)
- NYSE, NASDAQ ヒストリカルデータ
- 日経アーカイブ / 東京証券取引所データ
- 各国中央銀行・IMF・世界銀行等の公式資料
- AERA,2022年8月15日-22日号
免責事項
本記事は過去の金融市場の動向を整理し、一般的な情報提供を目的とするものであり、いかなる投資助言や保証を行うものではありません。実際の投資判断に際しては、最新の情報を確認し、自身のリスク許容度や経済状況に合わせて行ってください。
以上が、1929年から2020年までをカバーした歴史的暴落のまとめと、その見方についての徹底解説となります。
株式市場が調子の良いときでも、「過去に何度も暴落を経験してきた」という事実を意識することで、不意の大暴落に備えたリスク管理や投資判断ができるかもしれません。
少しでも参考になれば幸いです。次回以降の投資や経済ウォッチの一助として、お役立てください。